連載(42) 予防原則(1)

2014/04/15Intertek News(44号)

環境主任審査員 郷古 宣昭 Nobuaki Goko

1.予防原則とは何か

 化学物質のリスクを考える場合に避けて通れないのが「予防原則」であり、その意味は「疑わしきは黒とみなして対策を取る」ということです。
 この考え方は鉱山や工場の排水に含まれる有害化学物質が深刻な被害を与えているのに、化学物質と被害との因果関係を示す証拠が十分でないために規制できず、深刻な被害の拡大を招いた公害の歴史的教訓に由来しています。予防原則は1970年頃から既に議論されていて、1990年代には国際的な合意や条約、更にはリオ宣言にも取り入れられるなど、不確実なリスクに対する行動原則・政策原則として定着しました。

2.予防原則の3つのバージョン

 予防原則の「予防」の原語はprecautionaryで、「警戒する」の意味ですので、そのニュアンスを汲み取ること重要です。予防原則は3つのバージョンに整理できます。

  • Ver1:因果関係が不確実であることを規制等の行動を行わない理由としてはならない。
  • Ver2:因果関係が不確実であることは、規制等を行う正当な理由となる。
  • Ver3:因果関係に不確実性があれば、そのリスクが受容可能なレベルになるまでその活動は禁止されるべきである。

 Ver1は、鉛入りガソリンに関するE社とEPA(環境保護局)の訴訟において、有害性の根拠が不確実なのに規制するのは不当であるというE社の主張を裁判所が退けたことから始まったと言われています。ただし、これはEPAの規制行動を許可しているだけで、規制を強制しているわけではありません。これに対してVer2は一歩進んで有害性や因果関係の不確実性は、製造禁止・制限、警告、代替品切替え等の規制介入を求めています。Ver3は記載の通りであり、その実行責任は活動から便益を受ける(事業者)側にあることを示しています。

3.予防原則を適用する際に留意すること

 鉱山や工場からの排水のように影響が一方的な場合は一つのリスクだけを問題にして予防原則を断固として貫けばよいが、現実にはリスクは複数あって、それらは相互に関係し合い、多くはトレードオフになっていることが多いようです。
 殺虫剤DDTは残留性が高く、鳥類への影響が大きいため、先進国では1970年代に製造・使用を禁止しました。ところが、マラリアの感染地域ではDDTの散布を止めたことによってハマダラカが増え、マラリアで死ぬ人が急増しました。結局、DDTの製造は続いており、地域限定で今でも使用されています。
 私たちは多重リスク社会で生きています。ある対策によって他のリスクが増大したり、新たなリスクが発生することがあり得ます。また、「疑わしきは対策する」といっても的が外れていれば、膨大なコストがかかります。
 予防原則を基本的行動原則として堅持しつつ、その実践の場では、①規制や対策に関連するあらゆるリスクを洗い出し、②それらの相互作用を推定し、③総合的な視点から対策を決定する必要があります。また、対策実施後も④有害性や因果関係の不確実性を最小化する努力を続けること、⑤対策処置の有効性を検証することが重要です。目指すのは予防処置や規制の最大化ではなく、最適化です。

 次回はCOP19ワルシャワ会議の結果について取り上げます。